神々と男たち

アンクル

2011年06月01日 23:17

1996年のアルジェリアで、フランス人修道士たちが差し迫るイスラム過激派による身の危険をもかえりみず、その地に留まり殉教するという事件が起こりました。
それに題材を得て、殉教に至る彼らそれぞれの心理的な葛藤を描いた、2010年度カンヌ映画祭グランプリ受賞作です。




北アフリカ、アルジェリアの山間にある修道院。
ここで8人の修道士が、信仰に身をささげ、自給自足の生活を送っていました。
彼らは医療などの奉仕活動を通じて、イスラム教徒である村人たちともお互いに信頼し、尊敬しあう良好な関係を築き上げていました。
ところがアルジェリア政府とイスラム過激派の戦闘が激化し、いつしか国内の外国人がそのターゲットとして狙われるようになります。
修道院にもテロの脅威が目の前まで近づき、修道士にも動揺が広がります。
村人を見捨てて安全な場所に退くべきか?
それとも殉教を覚悟して彼らと共に残るべきなのか?
修道士といえども生きることに未練はあるし、死ぬことは怖ろしい。
しかし、ここから離れることが神に身を委ねた者として許される道なのか?
彼らの意見は別れ、それぞれが悩み苦しみます。
そしてついに彼ら全員が、「逃げてもただ自らの魂の自由を失うだけ」と、この地に残ることを決意するのです。




前半は、修道士の毎日の営みと村人との交流の日々が淡々とくり返され、やや退屈気味。
しかし、テロリストの危機が迫り彼らが煩悶する後半は、そのスリリングな展開に目が離せなくなります。

全員が「残る」と決意したその夜、誰もがこれが最後の晩餐になるだろうと予感しています。
夕餉の食卓には心ばかりの皿が並び、なけなしのワインの栓も抜かれます。
古びたラジカセからはチャイコフスキーの「白鳥の湖」のメロディーが流れます。
悩みつくしたあとの、悟りと諦め、喜びと悲しみ、笑いと涙が交錯する彼らの表情を、カメラは静かにそして丁寧にとらえていきます。
胸締めつけられる名場面です。

修道士たちは決して神々などではありませんでした。
家族を思い、やり残した人生に未練を残し、何より死への恐怖を隠さない生身の人間でした。
しかし人間であったからこそ、己の信念に誠実に向き合ったその姿は、荘厳で神々しい光を放つのです。


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