ひとつになれない!~別 離

アンクル

2012年05月21日 23:07

イラン映画といえば、「友だちのうちはどこ?」のアッバス・キアロスタミの作品が世界的に有名ですが、またひとつ名作が誕生しました。
アスガー・ファルハディ監督の「別離」がそれです。
国際的な各映画賞を総なめにした、今年注目の話題作です。




ムダのない伏線が張りめぐらされた緻密なシナリオ。
子役を含め、緊張感を漂よわせながら物語にリアリティをもたらす俳優たちの演技。
ふとしたことから始まった日常的な出来事を、スリリングなサスペンスに仕立て上げる見事な演出。
一瞬たりとも目を離すことの出来ない濃密なドラマが展開していきます。
久しぶりにとても見応えのある映画に出会ったという印象です。

娘の将来のため、自由な外国に移住しようとする妻。
夫はアルツハイマーの父の介護を理由にそれを拒み、離婚調停にまで話は進んでいます。
妻は実家に帰ってしまい、夫は父の介護のために貧しい子連れの女性を雇います。
その彼女は、失業し借金で裁判沙汰を抱える自分の夫を支えるため、やむを得ずその夫に内緒で雇われたのです。
しかし、敬虔なムスリム(イスラム教徒)である彼女は、それが神の法に触れるのではないか?と怖れ悩んでいます。
やがて、雇い主とのふとしたトラブルから彼女が流産してしまい、それがこのふた組の家族をいさかいの泥仕合へと陥れます。
お互いが家族の間に行き違いや問題の火種を抱え、それがさらにそれぞれの対立を複雑にしてしまいます。




子供の教育、親の介護、離婚、失業、雇用…
今日の世界のどこにでも存在する、きわめて現代的な問題があぶり出されます。
その中で、登場人物の誰もが自分の正義を貫こうとして、どうしようもなく相手を傷つけてしまいます。
そこで突きつけられるのは、人は互いの異なる立場を解かり合うことなど結局は出来ず、“絆”などというきれいごとではなく、リアルな“別離”を選択するという冷徹な事実です。
両親の苦悩を何とかしたいと、それなりに自らが“かすがい”の役目を果たそうと心を砕く双方の娘のけなげな心情が、決して報われないのが痛々しい。

さらに、全体を通して底に流れているのは、現在のイランという国の閉塞的な現状に対する苛立ちではないかと思いました。
それは、基本的に欧米の考え方を身につけた富裕な雇う側と、その日を生きるのに精一杯で、だからこそムスリムの規範にすがりつかざるを得ない、貧しい雇われる側との間に横たわる、埋めることの出来ない溝として浮かび上がります。
これを見ていると、欧米諸国と中近東諸国の対立はキリスト教とイスラムの文明の衝突などでは決してなく、収奪する欧米と、される中近東の富の偏在による格差の対立であることが非常によく理解できます。

アメリカの人たちはこの映画に「アカデミー外国映画賞」を贈り、賞賛しました。
しかし、自分たちの繁栄がこれらの貧困を誘い、それがテロを生み、また自らに戻って来る現実をどう考えるのでしょうか?
そのことを問うてみたいと思いました。


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