2012年07月15日
オリジナル
さて、例によって「海の日ライブ」までのしばらくの間は、ミュージック・カテゴリーの話題を…

アンクルのレパートリーは、ほとんどがオリジナル曲。
それはなぜかと考えると、以前にも書いたことがあるのですが、アンクルは楽器を弾いたり歌ったりという行為そのものよりも、自分の中にあるイメージを歌という形にすることに、より興味があるからだと思います。
一応、ヴォーカリストと位置づけられるのでしょうが、実は歌うってあまり好きな作業ではありません。
子供のころから歌うのって嫌いだったし、カラオケなんてのも好きじゃなくて、第一そんなに歌が上手だとも思えません。
楽器の演奏も嫌いではないですが、自分にはその才能はないと思っています。
いつもギターを手にしていますが、ギタリストと呼べるようなレベルではないと自覚しています。
ただ、自分の中に感じる世界を、コトバという道具で詞に起こし、音としてメロディーに乗せ、それを歌として形に表す…
そういうトータルな作業としての表現には、とても強く魅かれます。
現実の社会生活を営むには、当然、社会的なルールや常識に自分を合わせる必要があります。
そして、そこでの自分は、裸の素の自分とは必ずしもイコールではありません。
むしろ、実際には無理やりそうした規範に自分をフィットさせなくてはならない、という場合の方が多いのではないか?と思います。
アンクルは、その隔たりの大きさをとても敏感に感じます。
だからその欠落を埋めるために、内なる本当の自分の世界を、表現という手段で形あるものにしたいと求めるのです。

ところで、若いころに2年ばかり、京都のライブハウスで月に1度ほど歌ってたことがあります。
ある日そこに、テレビでよく見かける有名なフォーク・シンガーの曲を、とても上手に演奏する人が出演したことがありました。
彼は、そのシンガーに成りきって見事に歌っていましたが、出番が終ったあと「次からはもう来ないでくれ!」と、スタッフに言い渡されるのを目撃したことがあります。
たとえどんなに下手なパフォーマンスであっても、何かの真似事ではなく、自らの個性とオリジナリティこそが何より大事なのだと、その時、教えられたように思いました。
あのころのライブ・シーンは、そんな創造的な気分に満ち溢れていましたからね…

アンクルのレパートリーは、ほとんどがオリジナル曲。
それはなぜかと考えると、以前にも書いたことがあるのですが、アンクルは楽器を弾いたり歌ったりという行為そのものよりも、自分の中にあるイメージを歌という形にすることに、より興味があるからだと思います。
一応、ヴォーカリストと位置づけられるのでしょうが、実は歌うってあまり好きな作業ではありません。
子供のころから歌うのって嫌いだったし、カラオケなんてのも好きじゃなくて、第一そんなに歌が上手だとも思えません。
楽器の演奏も嫌いではないですが、自分にはその才能はないと思っています。
いつもギターを手にしていますが、ギタリストと呼べるようなレベルではないと自覚しています。
ただ、自分の中に感じる世界を、コトバという道具で詞に起こし、音としてメロディーに乗せ、それを歌として形に表す…
そういうトータルな作業としての表現には、とても強く魅かれます。
現実の社会生活を営むには、当然、社会的なルールや常識に自分を合わせる必要があります。
そして、そこでの自分は、裸の素の自分とは必ずしもイコールではありません。
むしろ、実際には無理やりそうした規範に自分をフィットさせなくてはならない、という場合の方が多いのではないか?と思います。
アンクルは、その隔たりの大きさをとても敏感に感じます。
だからその欠落を埋めるために、内なる本当の自分の世界を、表現という手段で形あるものにしたいと求めるのです。

ところで、若いころに2年ばかり、京都のライブハウスで月に1度ほど歌ってたことがあります。
ある日そこに、テレビでよく見かける有名なフォーク・シンガーの曲を、とても上手に演奏する人が出演したことがありました。
彼は、そのシンガーに成りきって見事に歌っていましたが、出番が終ったあと「次からはもう来ないでくれ!」と、スタッフに言い渡されるのを目撃したことがあります。
たとえどんなに下手なパフォーマンスであっても、何かの真似事ではなく、自らの個性とオリジナリティこそが何より大事なのだと、その時、教えられたように思いました。
あのころのライブ・シーンは、そんな創造的な気分に満ち溢れていましたからね…
Posted by アンクル at 18:19│Comments(0)
│ミュージック